ヒトは「物語」っちゃうもんらしい

『人はなぜ物語を求めるのか』のキンドル画面の写真

ヒトの脳みそは「物語」っちゃうクセがあるよ、でもその「物語」が自分を苦しめるような副作用もあるよ、そのことに自覚的になっておくと、いろいろいいと思うよ。千野帽子『人はなぜ物語を求めるのか』(筑摩プリマー新書)は、ものすごくざくっとまとめるとそのように言っていると個人的には受け取りました。

「物語論(ナラトロジー)」とか、まったく知らない世界だったので、おっさんですがプリマー新書を楽しく読ませていただきました。最後の読書案内とかもすごく充実していて、その幅の広さにも驚きです。

ストーリーのせいで苦しむのは、自分が「物語る動物」であるという自覚がないからなのです。「人間は物語る動物である」ということを自覚することで、ストーリーのフォーマットが悪く働いて自分が苦しい状況に陥る危険を減らし、あわよくば「ストーリー」のいいとこだけを取って生きていきたい。
僕はそういう虫のいいことを考えています。

千野帽子. 人はなぜ物語を求めるのか (ちくまプリマー新書) (Kindleの位置No.103-106). 筑摩書房. Kindle版.

上記の「はじめに」の部分に著者の言いたいことが凝縮していると思います。

人間とは、世のなかのできごとの原因や他人の言動の理由がわからないと、落ち着かない生きもののようです。
認知神経科学者のマイケル・S・ガザニガは、人間の脳の左半球で解釈機能が働いているのではないか、という説を出しています。
〈左脳で行われるインタープリターのプロセスの背景には、起こったことの説明や原因を知りたいという衝動がある。このプロセスはどんな状況でも機能している〉(『〈わたし〉はどこにあるのか ガザニガ脳科学講義』藤井留美訳、紀伊國屋書店)
そしてこの脳の解釈機能がでっち上げる説明は、一貫性はあっても、明らかに間違っていることがあるといいます。

千野帽子. 人はなぜ物語を求めるのか (ちくまプリマー新書) (Kindleの位置No.486-492). 筑摩書房. Kindle版.

理由がわからなければ、でっち上げてでも説明しようとするのがヒトってもんかも。「神話」はまさにそれですよね。気をつけないとあかんですよねー。

人間は世界をストーリー形式で把握し、新たな平衡状態に向けての事態進展・収束の弾道をシミュレーションする作業を、自覚せぬままおこなっています(本章第4節)。無自覚な妄想的シミュレーションでしかないストーリーを「ほんとうの人生」と見なし、それと比較して現状を「贋の人生」にしてしまうことにほかなりません。
僕がかつて人生に期待し、たびたびがっかりしていたとき、「人生に期待することをやめる」という選択肢が存在することを知りませんでした。物語論を研究していて、教えられたことのひとつは、「人生に期待することをやめる」という選択肢が存在する、ということです。

千野帽子. 人はなぜ物語を求めるのか (ちくまプリマー新書) (Kindle の位置No.1060-1061). 筑摩書房. Kindle 版.

こういうある種の達観が本書を貫いていて、個人的にとても好ましく感じました。こういう感じが好きな方はぜひ。

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