社会的なサルであるヒトは、社会性昆虫のミツバチやアリと共通するような部分もあって、遺伝子レベルに集団で行動することが「快感」になるようなスイッチがあるのかも、というジョナサン・ハイト氏の説が気になっております。
ジョナサン・ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか─対立を超えるための道徳心理学』(紀伊國屋書店, 2014)については、いろいろどうなんでしょうねと思うところもあるんですけれども、ヒトには「ミツバチスイッチ」があって、それがオンになると、集団との一体感を求めて利他的な行動が気持ちよくなっちゃうのかも、というところは、それはあり得るのかもしれないなーという気はしました。
本では、確か母校のアメフットだかの応援で盛り上がってる事例から説き起こされていたと思いますが、集団的な一体感というのは確かにある種の快感なのかなーとは思いますね。受け入れ難いという人もいるかもしれないですけど、こういう、ある種の「快感」が存在していて、わりと普遍的なものかもよ、ということをきちんと可視化することは重要だと思うです。
それが一般的に共有されれば、その「快感」に酔っている人たちを利用しようとする人たちの存在も可視化されるかもしれないですし。母校だとか故郷だとか、ちっちゃなコミュニティが対象なら害は少ないでしょうけど、おクニへの一体感とかになっちゃうとね、いろいろね。80年近く前に、辛酸をなめさせられた集団の子ども世代としては、そういうのはほどほどにしとかないとヤバいんだよねー、という教訓を得やすくなるんでないかと。
まあ、のちのち、そんなスイッチは存在しないというような学問的な合意が得られるかもしれないので、この話もほどほどにしとこうかとは思いますけど(笑)。